人物

岡潔(天才数学者)業績まとめ~逸話と名言に見る人生観と生涯~


どうも、颯介です!

今回も日常の出来事のなかで、気になったことについて独自の視点でどんどん切り込んで行きたいと思います。

それでは早速参りましょう!

さて、今回取り上げるのは、天才数学者の岡潔(おかきよし)さんについてです。

というのも、今夜2018年2月23日に、「金曜ロードショー」で岡潔さんをささえた妻、岡みちさんの人生についてのドラマが放送されるからなんですね。

金曜ロードショーと言えば、映画を放送することが多いように思っていましたが、読売テレビの開局60周年記念のスペシャルドラマということで、オリジナルのドラマを放映されるようです。

岡潔さんを演じる佐々木蔵之介さんは、私の好きな俳優のひとりですし、岡潔さんっていうのはいったいどんな業績をのこしていて、どんな逸話名言を残されているのかなぁっていうのが気になったんですね。

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岡潔wiki風プロフィール


出典:http://www.city.hashimoto.lg.jp/guide/kyoikuiinkai/bunka_sports/bunka/kiyoshiokakensyou.html

名前:岡潔(おかきよし)
生年月日:1901年4月19日 ※明治34年
没年月日:1978年3月1日 ※昭和53年
出生地:大阪府大阪市
学歴:京都帝国大学卒業
出身大学:京都帝国大学 ※現在の京都大学
職歴:京都帝国大学講師⇒京都帝国大学助教授⇒フランス留学⇒広島文理科大学助教授⇒北海道帝国大学研究補助⇒奈良女子大学教授

岡潔さんは、いくつかの大学の教員として勤めていました。

病気のため休職していたり、どこにも勤めずに故郷で一人こもって研究生活をしていたこともあります。

基本的には、根っからの研究者、学者といってよさそうです。

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岡潔の経歴

1901年4月19日、岡潔さんは、現在の大阪市に生まれます。

4歳のとき、お父さんの故郷である、和歌山県伊都郡紀見村(現在の橋本市)に引っ越します。

和歌山県立粉河中学校(現在の和歌山県立粉河高等学校)在学中に、「クリフォードの定理」に出会い、以来、数学の研究に没頭していきます。

※クリフォードの定理・・・奇数個の直線は円を決定し,偶数個の直線は点を決定し,直線の数をいくら増やしてもそれは変わらないといった定理

第三高等学校を経て、京都帝国大学理学部に入学します。

1925年に、京都帝国大学理学部を卒業し、そのまま同大学理学部の講師に就任します。

さらに4年後には、同大学の助教授に昇進し、フランスのソルボンヌ大学に留学します。

フランス留学時代に出会った「多変数函数論」を生涯の研究テーマに設定します。

1932年に、フランス留学を終え帰国し、広島文理科大学(現在の広島大学)で助教授として6年間、教鞭を執ります。

その後、故郷である和歌山県伊都郡紀見村(現在の橋本市)に戻り、研究生活に没頭します。

その後、北海道帝国大学理学部研究補助嘱託を経て、1949年に、奈良女子大学教授に就任します。

この頃から晩年までは、奈良市高畑町に住みます。

京都大学非常勤講師を併任しながら、奈良女子大学教授をつとめ、奈良女子大学名誉教授に就任。

1969年には、京都大学理学武教授に就任し、教養科目である「日本民族」を担当されています。

数十年を費やし、誰もなし得なかった数学上の難問を解決します。

1978年3月1日(昭和53年)、76歳でその生涯を閉じます。

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岡潔の受賞歴・叙勲歴

岡潔さんは、以下の通り、数々の賞を受賞したり、叙勲を受けたりしています。

1951年(昭和26年) 日本学士院賞
1954年(昭和29年) 朝日文化賞(多変数解析函数に関する研究)
1960年(昭和35年) 文化勲章
1961年(昭和36年) 橋本市名誉市民
1963年(昭和38年) 毎日出版文化賞
1968年(昭和43年) 奈良市名誉市民
1973年(昭和48年) 勲一等瑞宝章
1978年(昭和53年) 従三位

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岡潔の業績まとめ

多変数解析関数論での世界的業績

「多変数解析関数論」というのが、私には難しくてさっぱり分かりませんから、申し訳ありませんが、この理論がなんなのかということは、うまく説明できません(笑)

ただ、当時、まだまだ発展途上であったこの分野で世界の先駆者となるような偉大な業績を残されています。

具体的には、たったひとりで、3つの問題を解決したことが有名で、特に、当時の重要な未解決問題とされていた「ハルトークスの逆問題(レヴィの問題)」をおよそ20年もの歳月を費やし、とうとう解き明かします。

この業績は世界中の数学者たちを驚かせました。

岡潔さんは、生涯に10編の「多変数解析関数論」に関する論文を書かれています。

この10編という執筆数は、ふつうは少ないとみられるそうですが、1つ1つが非常に優れた論文であると世界的に高い評価を受けていたということです。

1936年以来、フランス語で論文の発表を行っていましたが、ヨーロッパの数学者たちは、その独創性に度肝をぬかれてしまい、「オカキヨシ」というのは、個人ではなく数学者の集団のことだと思ったと言われています。

たった1人の頭の中から出てきたとは考えられないくらい、優れた研究成果だったということですね!

後進の数学者への影響

数学界には、「フィールズ賞」という4年に一度、40歳以下の優れた数学者に授与される賞があります。

数学界のノーベル賞」と言われたり、むしろ「ノーベル賞を上回る最高の栄誉」とも言われる、このフィールズ賞を受賞した日本人が日本の歴史上3人います。

岡潔さんは、彼らに直接的、間接的に大きな影響を与えました。

小平邦彦(こだいらくにひこ、1915-1997年)
※1954年受賞、東大卒、受賞時米国プリンストン大学在籍

広中平祐(ひろなかへいすけ、1931年-)
※1970年受賞、京都大卒、受賞時米国ハーバード大学在籍

森重文(もりしげふみ、1951年-)
※1990年受賞、京都大卒、受賞時京都大学数理解析研究所在籍

の3人ですが、

小平邦彦氏は、岡潔さんの業績をいち早く取り入れての成果ですし、広中平祐氏は岡潔さんから貴重のアドバイスを得て、フィールズ賞受賞へとつながりました。

その広中平祐氏の影響を受けたのが、森重文氏です。

思想家として業績

岡潔さんは、仏教を信奉していて、数学者としてのみならず、特に晩年は思想家としての側面が見られました。

岡潔さんは、人の中心は情緒(情)であるとの考えを持っていて、1960年に文化勲章を受章した後、1963年に、エッセー集「春宵十話」を出版し、現代日本人の心の荒廃を鋭く批判します。

明治維新以降の近代的な合理主義により、失われた日本人古来の純粋な心をとりもどそうと訴えたそうです。

当時の日本に、「このままではいけない」と警鐘を鳴らしていたのですね。

数学といえば機械的なもので、情緒とは無関係と思うのが一般的な感覚では無いでしょうか。

それに対して、岡潔さんは、「数学とは、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術の一つである」という世界観を持っていて、数学という分野を「情緒」という観点により展開された世界観は多くの読者に大きな驚きを与えました。

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岡潔の逸話

【逸話1】
シーゲル、ヴェイユ、アンリ・カルタンといった有名な数学者達が、わざわざ日本の奈良県まで岡潔さんを訪ね、会いに来ました。

シーゲル氏は、日本の数学者達が神様のような存在として尊敬していた数学者ですが、そのシーゲル氏は、岡潔さんに会いに来た際、感動のあまり岡潔さんに抱きついたと言います。

【逸話2】
日本の数学者達が神様のように思っていた数学者のシーゲル氏は、「オカとはブルバキのように数学者の団体の名前だと思っていた」と語ったそうです。

【逸話3】
フランスのある数学者が数学者の矢野健太郎氏に「オカは起きてから寝るまで数学以外のことは何もしないと言うことを聞いたが本当か」と尋ねた際、「本当ですよ」との答えを聞いて、ただちに研究に向かったと言います。

岡潔さんは、それほどまでに数学の研究に没頭していたのですね。

【逸話4】
広島文理科大学での助教授時代、授業がデタラメだと学生から苦情が出たたことが問題に発展して、職を辞めることになったと言います。

授業中でも、自身の数学上の研究の発見などがあると授業どころでなく、自分の世界に入ってしまうくらい研究に没頭されていたのですね。

まあ、学生や大学側からしたらたまったものではないのでしょうけども。。。

【逸話5】
無職時代には、田畑を売り、奨学金をもらって、12年間数学の研究に没頭。

いまでいうと、ニートとか、フリーターと言われるような状態を12年間続けひたすら研究に没頭しました。

岡潔さんは、大学で教鞭を執る立場でありながら、適切な授業を行わなかったり、社会的責任は十分に果たしていなかった部分がかなりあったと思えます。

しかしながら、数学の研究が文字通り、何よりも優先するという徹底的な没頭ぶりというのが、偉業へとつながったのだとは思いました。

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岡潔の名言

岡潔さんは、様々な名言も残されています。
ここでは、そのなかから、私が印象に残った岡潔さんの名言を紹介します。

科学が進歩するほど人類の存在が危うくなるという結果が出る

日本だけのことではなく西洋もそうだが学問にしろ教育にしろ「人」を抜きにして考えているような気がする

言葉で言いあらわすことなしには、人は長く思索できない

苦心を払わせるものを私は情熱といっている

人と人との間にはよく情が通じ、人と自然の間にもよく情が通じます。これが日本人です

人の中心は「情」であって、情の根底は「人の心の悲しみを自分のからだの痛みのごとく感じる心」すなわち観音大悲の心である

今、たくましさはわかっても、人の心のかなしみがわかる青年がどれだけあるだろうか

勘は知力ですからね。これが働かないと、一切がはじまらぬ

いかがでしょうか?

人の心の大切さをといているものが多いですね。

もちろん、これは、私が特に感銘を受けたものを抜粋していますので、偏りはあるかもしれませんが、何事をするにしても心抜きにしては考えられないと思わされるものでした。

「情緒」という言葉にこそ、岡潔さんの人生観が現れているように思われます。

岡潔さんもおっしゃるように、やはり「数学も情緒」なのかもしれませんね。

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まとめ

岡潔さんは、日本人が尊敬する偉大で世界的な数学者さえも尊敬するような偉大な業績を残した数学者でした。

一方で、岡潔さんは、あまりにも自分の数学研究に傾倒したが為に、変人・奇人のように見られることもあるようです。

その偉大な業績を残すにあたり、たしかに欠落していたものもあるように思われます。

しかしながら、逆に言うと、岡潔さんの行き方を見ていると、素晴らしい業績を残すためには、他の何を犠牲にしても、自分の目的を達成するために集中しないといけないということを教えてもらったような気がします。

岡潔さんは、世界的な数学者からも尊敬されるような偉大な業績を残していながら、日本国内ではなかなか理解が追いついていなかったようですが、いつの時代も天才は、時代を先取りしすぎて理解されないのかもしれないとも思いました。

それでも、自分の信念の元、まわりにどう言われようと邁進する姿勢もやはり大切なのだと思います。

全てを研究に捧げた岡潔さんの生き方は、一見すると、機械的なものと見られてしまうのではないかと思いますが、数学を含めてさまざまなことを情緒と絡めて理解していたのは、少し意外に思いました。

近年では、岡潔さんの業績が見直され、著書が再刊されるなど注目されているようです。

テレビドラマになるのも注目されている証拠ですね。

また、岡潔さんの地元の橋本市では、岡潔さんの記念館を開設しようとする動きもあるようです。

岡潔さんという、偉大な日本人がいたことを誇りに思います。

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