人物

広沢誠吉(廣澤誠吉)wiki風経歴・プロフィール!キリマンジャロ登頂の鉄馬登山家の年齢や結婚・家族は?


どうも、颯介です!

今回も日常の出来事などのなかで、気になったことについて独自の視点でどんどん切り込んで行きたいと思います。

それでは、さっそくまいりましょう!

さて、今回取り上げるのは、広沢誠吉さんという登山家です。

しかし、この廣澤さんというのはただの登山家ではありません。

鉄馬(鉄製の竹馬)に乗ったまま、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロ山(5895m)や東南アジア最高峰キナバル山(4095m)の登頂に成功したというのです。

ふつうに登るだけでも大変なのに、鉄製の竹馬に乗ってというのは、正直意味が分からないです(笑)

そもそもなぜ鉄製の竹馬を使って登ろうと思ったのか疑問に思いますよね。

私は、テレビ番組「激レアさんを連れてきた」(2019年2月19日放送)をきっかけに広沢誠吉さんを知ったのですが、そんな広沢さんにとても興味がわきましたので、今回、廣澤さんのプロフィール、経歴などについて調べてみました。

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広沢誠吉wiki風プロフィール

名前:広沢(廣澤) 誠吉(ひろさわせいきち)
生年月日:1946年12月6日 ※2018年2月時点で71歳
出生地:徳島県
住所地:京都市下京区
職業:登山家、空手家 ※前職=京都市交通局職員
趣味・特技:空手(5段)、狩猟、鉄馬登山、一輪車、スキー、クライミング
著書:2冊刊行(自伝『異色冒険 鉄馬登山家』(風詠社)、健康空手気功道(風詠社))

早期退職する以前は、京都市交通局職員として勤め、バスの運転手や地下鉄の駅員として働いていました。

30代半ばから退職するまで、鍛錬のために一輪車で通勤していたそうです。

冬山にも挑戦していた広沢さんは、寒さに耐える鍛錬として、雪山で手袋をつけずに素手で行動していたり、勤務中(バスの運転中)や日常生活も真冬でも半袖で過ごしていたといいます。

寒さに耐える訓練は、さらにエスカレートして、真冬の山の中で滝に打たれたり高度の低い雪山を裸足で歩いたりしても凍傷にならなかったそうです。

自伝を出版されていますが、今後も自伝の後編を書くべく、今後も山登りや鉄馬を続けて良かれ、もっと面白い経験を積み重ねて行かれるとのこと。

130歳まで元気に生きることというのも目標の1つとされています。

本当にとことん自分に厳しく、高い目標を持った方なのだと思います。

「人生全て修行の場。人生全て生きがい」
「誠実、不屈、謙虚」
「何を始めるにも遅いことはない」

という信念を持っている生涯現役の男です。

鍛錬することこそ人生の生きがいという感じですね^^

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廣澤誠吉さんのキリマンジャロ登頂成功

廣澤誠吉さんは、こどもの頃に、『赤道直下でありながら頂上には万年雪がある…』と本で紹介されているのを本で読んで以来、ずっとアフリカの最高峰、キリマンジャロ山に憧れを抱いていたそうです。

海外での鉄馬登山は、初となる試みでしたが、キリマンジャロ山への挑戦に向けて、左右合計6kgの鉄馬さらに重りを付けたり、25kgの荷物を背負い登山を繰り返したりしていました。

さらには、高山病対策のために、25メートルプールを息継ぎなしで泳ぐなど入念にトレーニングを重ねていきます。

そして、1990年の6月、当時の職場だった職場の京都市交通局に、異例ともいえる長期の休暇を取得させてもらってキリマンジャロ登頂に挑戦します。

現地のガイドは、鉄馬でキリマンジャロ登山をしようとする廣澤誠吉さんを見て、「そんなもので登れるわけがない」と笑ったと言います。

3日間に及ぶキリマンジャロ登山の最中、一度も鉄馬を下りて足を地面につくことなく、食事や休憩も鉄馬の上でとりました。

しかも、それだけにとどまらず、キリマンジャロ山登頂を果たしたあとすぐに、もう1つ奥のウフルピークまで行って、万年雪で覆われた平らな場所で空手の型を演舞したと言います。

この世界有数の高地での空手演舞をした経験を

「孫悟空になったようだ」

と語っていました。

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廣澤誠吉さんの使用する鉄馬(鉄製の竹馬)の重さと製作者について

現在使っている鉄馬は3代目で、左右両方合わせると約6.6kgという重さがあります。

キリマンジャロ山登頂に使用した2代目の鉄馬(2014年3月、愛宕さん登山中に突然折れてしまったため交換)よりも重く丈夫なものだそうです。

鉄馬は特注品で、初代から廣澤誠吉さんを作ってくれていたなじみの鍛冶職人、野中市郎(京都市右京区在住)さんに作成してもらったものです。

野中さんは、以前勤務していた鉄工所時代から広沢さんの鉄製の竹馬を3代にわたって製作してこられました。

広沢さんは、鉄馬登山中には、鉄馬から下りることなく、食事さえも鉄馬に乗ったまま手放しで行います。

しかも、驚くことに、鉄馬に乗ったまま空手の型までやってしまうと言います(笑)

そんな広沢さんですから、きっと使用する鉄馬にもいろいろとこだわりがあるのだと思いますが、野中市郎さんは、そのこだわりを実現できる広沢さんが信頼する職人さんなんですね、きっと。

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廣澤誠吉さんが鉄馬登山を始めた理由

私が廣澤さんのことを知ったときに、まずはじめに思ったのが、

「なぜわざわざ鉄馬(鉄製の竹馬)に乗って登山をしているのか」

ということです。

おそらく、多くの方も私と同じように思いますよね(笑)

「普通に登るだけでも大変なので、なんでわざわざそんなことするの?」と思うと思います。

廣澤誠吉さんが、鉄馬での登山を始めたきっかけは、20代前半の頃から続けている空手の鍛錬の為でした。

普通に登山するだけでは、負荷が足らず満足できませんでした。

より足腰に負荷をかけて鍛錬する方法はないかと考えた末に、鉄下駄で山を登りました。

鉄下駄での登山を始めた当初は、左右合計で8kgの鉄下駄を用いました。

そこからさらに、左右合計で20kgの鉄下駄を使って登山する様になりましたが、次第に鉄下駄でさえも満足できなくなりました。

そして、廣澤さんが、31歳の時に、よりバランス感覚が要求される鉄製の竹馬を用いて登山をするようになりました。

地元京都の愛宕山や大文字山などで鉄馬登山を行うようになりましたが、当初は周囲からは変人扱いされたと言います。

1979年には、4時間25分かけて、鉄馬での富士山登頂に成功します。

その後、キリマンジャロ山、キナバル山などと名だたる山々への挑戦を続けて行かれます。

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廣澤誠吉経歴

ここでは、廣澤誠吉さんの経歴についてご紹介します。

1946年12月6日(昭和21年12月6日) 徳島県一宇村(現つるぎ町)で生まれる。
1963年 京都に移り住む。
1969年 京都市交通局に就職。
1970年 日本正剛館空手道士会入門。
1971年 北野歩山会創設。
1975年 空手道指導員。
1978年 31歳で鉄馬登山始める。
1979年 富士山を鉄馬で登頂。
1980年 京都岳人クラブ入会。
1988年 山岳指導員となる。
1990年 キリマンジャロ山を鉄馬で登頂。
1992年 空手5段位となる。
1999年 キナバル山を鉄馬で登頂。
2000年 京都岳人クラブ代表となる。
2002年 京都市交通局を早期退職。
2004年 クライミング中に転落して肩の靭帯を切り、健空気で治す。
2006年 健康空手気功道を完成させる。
2011年 京都府山岳連盟副会長に就任。
2012年 パソコンを使い始める。
2013年 自伝『異色冒険 鉄馬登山家』(風詠社刊)出版。
2016年 「健康空手気功道」(風詠社刊)出版。

廣澤さんは、22歳で京都市交通局に就職されました。

京都市交通局ということは、公務員だったのですね。

2002年に早期退職されるまで、30年以上もの間、公務員としておつとめだったわけですが、その傍ら、空手や登山において圧倒的な成果を残されています。

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広沢誠吉の登山歴

広沢さんは、これまでに数多くの鉄馬登山を行ってきました。

広沢さんの登山歴は以下の通りです。

京都の愛宕山(百数十回)
大文字山(1回)
千石岩(10回)
伊吹山(1回)
富士山(2回)
大峰山(3回)
乗鞍岳(2回)
御岳山(1回)
キリマンジャロ山 ※1990年
キナバル山 ※1999年

さらには、東京タワー外階段やサンシャインビル階段までも制覇されているそうです^^

上記は少し古いデータだと思われますので、登山歴は、さらに積み重なっているかもしれません。

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廣澤誠吉は結婚済み、家族は妻1人・子供2人

廣澤さんは、ご結婚されている既婚者のようです。

家庭を築いておられ、奥様がいらっしゃいます。

また、子供さんも2人いらっしゃいます。

52歳で東南アジア最高峰のキナバル山登頂の際には、奥さんやご長男と一緒だったと言います。

奥様やお子さんも活動的で健康な方なのだと想像します。

広沢さんと一緒になって、キナバル登頂に取り組まれていることから、普段からきっと広沢さんの活動に理解を示して協力してこられたのではないかなと想像しています。

52歳の時にキナバル山登頂に同行できる年齢であったなら、きっと今では、お子さんも40代以上くらいにはなっているのではないでしょうか。

もし、お子さんが結婚などされて子宝に恵まれていたなら、もしかしたら、お孫さんもいらっしゃるのかもしれませんね。

廣澤誠吉の本

このような超人的な半生を送ってこられた広沢誠吉さんは、ご著書も刊行されています。

日々鍛錬の人生の詳細に触れることができるので、広沢さんの人生や信念についてより詳細に知りたい方は、一度広沢さんの2冊のご著書を手に取られてみてはいかがでしょうか?

まとめ

広沢誠吉さんは、「人生=修行」といった感じで、日常生活から何から何まで鍛錬をするために生きてるかのような想像を絶する超人でした。

いま、広沢さんは、70代になっていらっしゃいますが、「年齢なんて関係ない」とおっしゃっているとおり、これからもさらに世間があっと驚くようなすごいことをやってのけそうです。

鉄製の竹馬に乗って登山したり、真冬でも半袖過ごしたり、一輪車で通勤したりと、世間からは変人だと思われかなねいようなエピソードばかりですが、周囲の目も気にせず、ストイックに自分の信念を持って貫き通す姿はかっこいいと思いました。

そして、貫き通した結果、なされたことは、偉業と表現するにふさわしいすさまじい成果です。

私自身、広沢さんのことを調べていて、とても刺激を受けました。

もっと自分を高めるべく、もっともっと真剣に人生を生きていこうと思いました。

広沢さんは130歳まで元気に生きることが目標の一つのようですが、これからも元気で世間をあっと驚かせるような偉業に挑戦し続けていって欲しいと思います^^

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