どうも、颯介です。
今回も、日常の出来事などで気になったことについて、独自の視点でどんどん切り込んで行きたいと思います。
それでは、さっそく参りましょう!
さて、今回気になったのは、当時3歳という若さにもかかわらずハーフマラソンを2時間4分で走りきったというインド人のマラソン少年のことです。
この少年の名前は、「ブディア・シン(Budhia Awooga Singh)」です。
世界には凄い人、凄い逸話というのは、いるものです。
3歳なんて、うちの娘よりも小さい年齢です。
その幼さで、ハーフマラソンを走りきるだけでなく、2時間4分というタイムで走るなんて!
中国もそうですが、インドにしても、歴史の長く土地も広大で、国民も数多くいる中では、本当に飛んでもない話が聞こえてきます。
さて、それでは、ブディア・シン君の経歴やプロフィール・生い立ちについて見ていきたいと思います。
ブディア・シン君の現在や今後についても触れています。
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ブディア・シン君のプロフィール
氏名:ブディア・シン(Budhia Awooga Singh)
性別:男性
生年:2002年 ※2018年現在では15-16歳か
出生地:インドのオリッサ州の都市ブバネシュワール(Bhubaneswar,Odisha,India)
国籍:インド(India)
身長:137cm ※2016年当時
体重:34kg ※2016年当時
少年であること、データが2016年当時であることを考慮しても、体格はそんなによい方ではなさそうですね!
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ブディア・シン君の写真・画像
出典:https://starsunfolded.com/budhia-singh/
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ブディア・シン君の経歴・生い立ち
貧しい生まれと父親・母親・養父
この天才マラソン少年、ブディアシン君は2002年にインドのスラム街に生まれました。
ブディアシン君は、まだ1歳という幼いときに、父親を早くに亡くしてしまいます。
そして、彼の母親のスカンティさんは、貧しい上に、女手一つで4人の子供を育てなければならず、やむなく、ある男性にブディア・シン君を売り渡してしまったのです!
しかも、その値段は、800ルピー程度(日本円にしてわずか1400円程度)だったといいます。
貧困ゆえに仕方の無かったことなのでしょうが、とても悲しいことですね。。。
そして、その売り渡された先の男性もひどいものでした。
ブディア・シン君を買い取った行商人の男性は、ブディア・シン君を虐待します。
この虐待の事実に気付いたのが、地元で柔道の監督と孤児院の経営をしていたビランチ・ダス氏です。
ビランチ・ダス氏は、ブディア・シン君を虐待から救うために、その男から買い戻したのです。
ビランチ・ダス氏は、ブディア・シン君の養父になったということですね。
そして、このビランチ・ダス氏がブディア・シン君のマラソンのコーチでもあります。
その後、ブディア・シン君は、孤児院で暮らすようになります。
マラソンの才能の発現
ビランチ・ダス氏は、ブディア・シン君に対して、ある日「走りなさい!」と命令しました。
他の子供の悪口を言ったことに対する罰としてのことだったそうです。
叩くのはよくないからと「走るように」と言いつけたのです。
ビランチ・ダス氏は、ブディア・シン君に走るように命令していたことをすっかり忘れてしまっていました。
ところが、朝の6時に走るよう言いつけて、ビランチ・ダス氏が13時に帰宅してくるまでの7時間もの間、ずっとブディア・シン君は走り続けていて、とても驚きます!
ブディア・シン君の体に異常は無いかと医療の力を借り、チェックを受けさせた結果、彼の心臓などにもまったく問題は見られませんでした。
ブディア・シン君のマラソン、走ることに対する素晴らしい才能が見いだされた瞬間でした。
そして、ブディア・シン君は、3歳時には、既に6回もハーフマラソンを完走しています。
時々、手を合わせ人々の幸せを祈りながら走る余裕さえあったと言います。
メディアへの出演
そうして、ブディア・シン君は天才マラソンランナーとしてもてはやされるようになり、一躍有名人になります。
その後、ランナーとしてマラソン大会に出場する以外にも、数多くのテレビコマーシャルに出演する様になります。
4歳でフルマラソン完走、ウルトラマラソンにも出場
4歳になると、フルマラソンをなんと48回も完走しています。
ビランチ・ダス氏は、正式にブディア・シン君を養子にとり、小学校にも通わせるようになります。
ビランチ・ダス氏は、ブディア・シン君の母親のスカンティさんにも仕事を紹介して、
「ダスさんのおかげで私たちは幸せです。本当に素晴らしい方です。」
と感謝されています。
2006年、ビランチ・ダス氏は、4歳のブディア・シン君に、65kmのマラソンというさらなるチャレンジをさせます。
チャレンジの日には、午前4時に出発しました。
8時30分までの4時間30分ほどで、既にフルマラソンに距離にあたる42kmを走りきっていました。
しかしながら、既にこの時間には、気温は34度にもなっていたといいます。
そうした悪条件の中、65kmを7時間2分というこれまた凄い記録で走りきります。
その後、さらに観客や街の有力者の待つスタジアムまで走らせましたが、その途中でブディア・シン君は倒れてしまいます。
メディカルチェックでは、問題はなかったと言いますが、ビランチ・ダス氏のブディア・シン君に対するマラソンのトレーニングに対しての厳しい姿勢が虐待にあたるとして大きな波乱を呼ぶことになります。
ダス氏が自分の名誉の為に、ブディア・シン君に無理を強いて、搾取しているのではないかと、インドの児童福祉を管轄する当局から調査が入ったりします。
まだまだ幼いブディア・シン君に対して、常識をうわまわるような厳しい訓練をしていると指摘され、様々なところからの関与が入るようになっていきます。
ビランチ・ダス氏の逮捕と死亡
ビランチ・ダス氏は、ブディア・シン君のマラソン基金のお金を着服しているという疑いまで掛けられてしまいます。
そうした中、ビランチ・ダス氏にはじめは感謝していたブディア・シン君の母親も態度を変え、ビランチ・ダス氏がブディア・シン君を虐待しているとして、告訴します。
その結果、2007年8月13日に、ビランチ・ダス氏は逮捕されます。
そして、2008年4月13日の夜、ビランチ・ダス氏は何者かによって射殺され、死亡してしまいます。
地元犯罪者グループの金目当ての犯行だったと言います。
ブディア・シン君は、「本当の父親のようだったのに」と涙を流したそうです。
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ブディアシンの現在と今後について
ビランチ・ダス氏と死別した後、8歳になったブディア・シン君は、オリッサ州のスポーツ特待生として、スポーツアカデミーに所属してトレーニングは続けているようです。
17歳まで無償で教育を受けることができるといいます。
※ブディア・シン君は、2002年生まれですから、2018年現在においては、15-16歳ですね。
現在では、それほど長時間のトレーニングはせずに、1日に1~2時間程度のトレーニングと勉強をしていいます。
しかしながら、ブディア・シン君が走れるのは1日に1500m程度迄しかないようです。
幼い頃の激しいトレーニングから、児童福祉当局から長距離を走ることをいまでも禁止しているためです。
ブディア・シン君は、オリンピックのマラソン競技でインド代表として活躍することを目指していると言います。
ということは、もしかしたら、今後、国際大会にも出てくるようになるかもしれませんね!
2020年には、東京オリンピックが控えています。
2020年の東京オリンピックの年には、ブディア・シン君は18歳になっているでしょうか。
東京の地で開催されるオリンピックのマラソン競技の舞台で、ブディア・シン君の活躍する姿を見ることはできるのでしょうか。
そうなればきっとかなり話題になりそうですし、どんな活躍をするのか楽しみですね^^
あまり無理をしすぎずに、怪我・故障なく、順調に成長していってほしいと思います。
・・・ただ、英語圏の情報を収集してみると、「マラソンの準備は、18歳以降」というような記述も見られました。
※いまもまだ、長距離を走ることが禁止されている状況ですので、成人するのを待ってからということですね。
この記述からすると、将来的にマラソン選手として活躍することはあったとしても、残念ですが、東京オリンピックには間に合わないということですね。
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ブディア・シン君のことは、映画にもなっています!
ブディア・シン君の生い立ちを記録した伝記映画も制作されました。
DVDが日本でも購入可能ですので、よろしければご覧になってみて下さい^^
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最後に
ブディア・シン君は、実の父親も幼くして亡くし、才能を見いだしてくれ、ブディア・シン君に「本当の父親のようだった」と言わしめた養父まで亡くしてきました。
これまでのブディア・シン君の人生は、恵まれたものではなかったかもしれません。
これからは、本当に、今後も無理なく才能を伸ばし、世界で闘うマラソンランナーとして活躍してくれたらうれしいなと思います。
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