人物

上田萌(卓球上田仁の姉)wiki風プロフィールと経歴!学校やかわいい画像も紹介


どうも、颯介です!

今回も日常の出来事などのなかで気になったことについて独自の視点でどんどん切り込んで行きたいと思います。

それでは早速参りましょう!

さて、今回取り上げるのは、2013年に行われた聴覚障がい者の国際スポーツ大会「デフリンピック」の卓球女子シングルスで、金メダルを獲得された上田萌(うえだもえ)さんについてです。

というのも、以下の記事で卓球男子の上田仁選手のことをお伝えしたのですが、お姉さんも凄い方だったんですね!

上田仁(卓球)wiki風プロフィール!出身大学・高校と結婚相手の嫁や家族は?

そこで、上田仁選手のお姉さんの上田萌さんについて調べてみようと思ったわけです。

聴覚障がい者、つまり耳が聞こえない中、目だけに頼って卓球をするというのは相当な困難が伴うことなのだそうですが、それにも関わらず、「聴覚障がいをお持ちの方の希望になりたい」との思いから世界一になるまで上り詰めた上田萌さんがどんな方なのか興味がわきましたので、今回、上田萌さんについて記事にしていきます。

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上田萌のwiki風プロフィール


出典:http://www.hitachi-chem.co.jp/japanese/information/2013/n_130805.html
名前:上田萌(うえだもえ)
生年月日:1989年10月生まれ ※記事を執筆した2018年2月現在で28歳
出身地:京都府舞鶴市浜
最終学歴:東京富士大学
所属:日立化成 ※卓球部は2014年3月31日をもって引退
プレースタイル:左利きのペンドライブ ※最近では珍しい持ち方らしいです

上野写真は、金メダルを獲得されたときの画像ですね。(ダブルスや団体を含めて、金銀銅コンプリートしています!)

とてもかわいらしい素敵な笑顔をされています^^

日立化成のYouTube公式アカウントに、上田萌さんの紹介動画がありました。
こちらをご覧頂くと、上田萌さんのことが良く分かると思いますので、掲載しておきますね!

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上田萌の学歴

上田萌さんは、以下のような学歴をお持ちです。

小学校:京都府立聾学校舞鶴分校小学部
中学校:舞鶴市立白糸中学校
高校:日星高校(舞鶴市所在の私立高校)
大学:東京富士大学

小学校では、聾学校(聴覚障がいをお持ちの方向けの学校)に通われたようですが、中学校では私立の一般中学校、高校では私立の一般高校、そして大学へと進学されたようです。

日星高校は、京都府舞鶴市にあるキリスト教系の私立高校です。
男女共学で、普通科の特進コース・総合コース(上田萌さんの在籍していたときは、普通科はコース別に分かれていませんでした)、および看護科(5年課程)があります。

特別卓球部が強いということはなさそうですが、上田萌さんが在籍していたときには、団体戦で全国大会に出場するなどしていたようです。

東京富士大学は、2002年に設置された大学です。
前身は富士短期大学という短大だったようです。

東京富士大学は、女子卓球の強豪校です。
東京富士大学の女子卓球部は、創部50年の伝統があり、大学の強化クラブにも指定されています。
世界選手権大会日本代表選手を18名やシドニーオリンピック代表選手も輩出しています。

また、東京富士大学女子卓球部の西村卓二監督は、アテネオリンピックの日本代表の監督も勤められた方で福原愛選手をはじめ、数々の選手を育ててきた名コーチです。

上田萌選手も西村監督の下に卓球に取り組まれていました。

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上田萌の経歴

1989年に、四人兄弟の3番目として生まれます。
(上に兄が2人、下に弟である上田仁選手)

親御さんは、生後10ヶ月で、聴覚障がいのあることを医者から宣告されます。

お父さんは、会社を退職して自宅を改装して、パン屋を開業します。

このころ、1つ上の学年に、5歳ながら小学校2年生以下の部で全国優勝するなど、すでに天才少女ぶりを発揮していた福原愛選手がいました。

5歳のとき、上田萌さんと同じく聴覚障がいを持っていた2番目のお兄さんの全国大会についていった際、福原愛選手の試合を生で見て憧れるようになります。

全国大会から戻ると、さっそく高校時代に卓球部だったお母さんのラケットを手に卓球を始めます。

兄や弟と同様に、地元、舞鶴市の卓球クラブ「一条クラブ(一条卓球研究所)」に入って、卓球に取り組みます。

めきめきと頭角を現し、小学校6年生で出場した全日本選手権ホープス(小学6年生以下)では、8強入りをはたします。

中学、高校でも健常者に混じって全国大会を経験します。

聴覚障がい者のオリンピックである「デフリンピック」の存在を知って以来、デフリンピックで金メダルをとることが目標になります。

東京富士大学に進学し、二年時に迎えた、2009年の台湾でのデフリンピックは、惜しくも決勝で敗れてしまいます。

2012年4月、実業団卓球の強豪である日立化成工業に入社し、卓球部に入部します。

2012年には、2012世界ろう者卓球選手権大会で、女子シングルス優勝、女子ダブルス優勝、女子団体優勝を果たします。

そして、2013年に行われた、第22回夏季デフリンピック競技大会(ブルガリアのソフィアで開催)にて、女子シングル金メダル、女子ダブルス銀メダル、女子団体銅メダルを獲得します。

2014年3月、現役引退を発表します。
(出典:http://www.hitachi-chem.co.jp/japanese/information/2014/n_140331.html)

引退の理由は、ずっと目標としてきたデフリンピックでの金メダル獲得を果たし思い残すことがなくなったからのようです。

卓球選手としては、現役を引退しましたが、日立化成には残って働かれているようです。

また、講演活動や卓球の指導などを行われることもあるようです。
(出典:https://ameblo.jp/kumiyamameishinkan/entry-12176651892.html)

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上田萌の家族

上田萌さんの実家は、パン屋を営んでいらっしゃるようです。

お父さんは、弘樹さんといいます。
上田萌さんの聴覚障がいがわかったことを機に、会社員を辞めて、自宅でパン屋さんを開業されたと言います。

ご家族には、萌さん以外にも聴覚障がいをお持ちのお兄さんがいらっしゃいますが、ご家族と寄り添う時間をより作りたかったのでしょう。

お母さんは由美子さんといいます。
高校時代に卓球部員だったそうです。

上2人のお兄さんも、一条クラブ(一条卓球研究所)で卓球をしていて、全国レベルの選手だったようです。

聴覚障がいを持つ兄の上田大輔さんは、いったんは卓球をやめていまいたが、萌さんの活躍に触発され、卓球を再開します。

そして、2009年の台湾でのデフリンピックに出場され、ベスト16入りなどの成績を残されています。

萌さんと大輔さんで組んでダブルスの試合に臨むこともありました。

※上田萌さんと兄の上田大輔さん

出典:http://maipress.co.jp/news/sports/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%82%E8%80%85%E5%8D%93%E7%90%83%E5%87%BA%E5%A0%B4%E3%80%81%E9%9B%A3%E8%81%B4%E3%81%AE%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%85%84%E5%A6%B9-%E6%B7%B7%E5%90%88%E3%83%80%E3%83%96.html

弟は、卓球男子日本代表として活躍されている上田仁選手です。


出典:http://www.jtta.or.jp/player/tabid/115/pdid/110/Default.aspx

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まとめ

上田萌さんは、すでに現役選手としては引退されてしまいましたが、

「障がい者と健常者の架け橋になる」
「障がい者に勇気を与える」

といった思いをもたれ、耳が聞こえず、卓球の技術的にも困難が伴う中、見事デフリンピックで金メダルと獲得されるという偉業を達成されました。

卓球男子日本代表として活躍される上田仁選手には、すばらしいお姉さんがいらっしゃったのだと感激しました。

また、聴覚に障がいを持って生まれた上田萌さんに寄り添うため、会社を辞めてパン屋さんをご自宅で始められたという愛情の深さに感動しました。

上田萌さんや上田仁選手の活躍の裏には、お母さんやお父さんの深い愛情やサポートがあったのではないかと思います。

上田萌さんは、選手としては、すでに2014年3月に現役を引退されてしまいましたが、これからも

「障がい者と健常者の架け橋になる」
「障がい者に勇気を与える」

という思いは、競技とは別の形できっと体現して行かれるのだと思います。

競技されるお姿は、もう見ることはできないかもしれませんが、上田萌さんの人生を応援しております^^

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