どうも、颯介です!
今回も日常生活の出来事のなかで気になったことについて独自の視点でどんどん切り込んで行きたいと思います。
それでは、さっそくまいりましょう!
さて、今回取り上げるのは、『如才ない』という言葉についてです。
これって一般的な言葉なんでしょうか?
私はまあまあ言葉を知っているほうだと思っていたのですが、『如才ない』というのは初めて聞く言葉だったんですね。
※すみません、もしかしたら、自分で思っていただけで実際はそんなに言葉を知らないのかもしれませんが・・・(笑)
私は文脈からして、人物の性質について表す表現のようですが、よい意味で使われる表現なのか(つまり、褒めているのか)、それとも悪い意味で使われる表現なのか(つまり、けなしているのか)、イマイチよくわからなかったんですね。
そこで今回、『如才ない』はどんな意味なのか、語源や由来、元々の意味や使い方などについて調べてみました。
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そもそも「如才」とは?読み方も
『如才ない』という言い方は、「ない」と打ち消しの表現が付いていますので、「如才」の意味を考えて、それを打ち消す意味が『如才ない』の意味だと言えるかと思われます。
ということで、ここではまず、『如才』の意味と読み方について確認していきましょう。
まず、『如才』は『じょさい』と読みます。
意味は、
気を使わないために生じた手落ちがあること。また、そのさま。手抜かり。多く、下に否定の語を伴って用いる。
出典:https://dictionary.goo.ne.jp/jn/111300/meaning/m0u/
となっており、「手抜かり」や「配慮不足」が如才の意味です。
上にもあるように、如才単独で用いるよりも、「如才ない」という打ち消しの表現と合わせて使うのが一般的のようです。
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『如才ない』の意味
『如才ない』の意味は、「如才」を打ち消しているので、「如才」単独の意味とは反対に、
「気が利いていて手抜かりがない」
という意味です。
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『如才ない』の語源や由来
『如才ない』の語源・由来は、中国の古典『論語』にあると言います。
まず、如才は本来は「如在」と書いていましたが、「在」の漢音が「さい」であるため、誤って「如才」と書くようになったと言います。
そして、如在というのは、『論語』の一節
「祭如在、祭神如神在(祭ることいますが如くし、神を祭ること神いますが如くす」
(目の前に神がいるかの如く謹みかしこまることを表した表現)
に由来します。
その後、「如才(如在)」は、次第に、「形ばかりの敬意」「形式的」という意味に誤って使用され、「手抜かりがある」という意味になりました。
そして、打ち消した表現として、『如才ない』という表現が使われるようになったそうです。
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『如才ない』の使い方
『如才ない』は「手抜かりが無い」つまり抜かりなく有能であるということで、褒め言葉として使われることがあります。
しかしながら、肯定的な意味あいのみならず、「抜け間無く計算高い」という感じで、計算尽くで作り上げられたものであるという様を表し否定的に使われることもあります。
文脈やニュアンスによって、どちらと取られるかは微妙に変わってくるかもしれません。
以下に肯定的な評価の場合の使い方と否定的な評価での使い方の例を掲載しておきます。
肯定的な評価での使い方の例文
如才ない彼に任せれば、この難しい案件もうまく片付けてくれるだろう
否定的な評価での使い方の例文
如才ない彼のことだから、うまくゴマをすって上司に取り入って出世していくにちがいない
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まとめ
『如才ない』というのは、「抜け目がない」という意味です。
「抜け目がない」というのは、一見すると、褒め言葉のようにも思われます。
しかしながら、実際に文中や会話の表現中で『如才ない』が使われる際には、かならずしも肯定的な評価を表す褒め言葉として使われるとは限りません。
「如才ない」が使われる前後の流れをあわせたニュアンスによっては、「形式的に計算されて作られた抜け目なさ」を表すこともあり、否定的なマイナス評価を表現することもあります。
このことから、『如才ない』という言葉使用する際や、意味を解釈する際には、文中の前後のニュアンスも含めて考えなければいけません。
個人的には、言葉を受け取る相手の『如才ない』という言葉の理解には差があり、誤解を生じる可能性もある言葉だと思いますので、わざわざ『如才ない』という言葉を使わなくても、単純に「抜け目ない」「計算高い」などもっと一般的な表現を使うほうが無難なのではないかと感じました。
今回もご覧頂いて、ありがとうございました。
それではまた!
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