どうも、颯介です!
今回も日常生活の出来事について独自の視点でどんどん切り込んで行きたいと思います。
それでは、さっそくまいりましょう!
さて、今回取り上げるのは、『オフィス北野はビートたけしさんの個人事務所会社じゃない』という件についてです。
このたび、ビートたけしさんが所属事務所オフィス北野からの独立騒動が報道されました。
この報道を見たり聞いたりして、
『あれっ!?オフィス北野ってたけしの会社じゃないの?』
と思った方は多いんじゃないかと思います。
そりゃ、ビートたけしさんの本名は、「北野武」なので、『オフィス北野』という名前からして、ビートたけしさん本人の会社なのかなって思ってしまいますよね。
かくいう私もそうでした。
てっきり、オフィス北野はビートたけしさんの会社なんだと思っていました。
ですが、今回の騒動を受けて調べてみたところ、そうではないようでした。
そこで、今回は、オフィス北野の社長や設立の経緯について調べてみたので、記事にして行きますね!
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オフィス北野の設立の経緯や目的・社長は誰?
ビートたけしさんは、フライデー襲撃事件を起こしたビートたけしさんが、太田プロダクションを退社しました。
フライデー襲撃事件は、1986年12月9日、ビートたけしさんをはじめ、たけし軍団ら12名が写真週刊誌『フライデー』 の編集部を襲撃した事件だそうです。
当時、ビートたけしさんの愛人へのフライデーの取材の仕方が色々とまずく、ビートたけしさんの怒りを買ったことが原因のようです。
こんな事件があったのですね。
この時代は、私もまだ小学生にもなっていなかったので、まったく初耳で知りませんでした。
そして、オフィス北野は、1988年に『森昌行(もりまさゆき)』さんという方が社長として設立し、ビートたけしさんやたけし軍団、寺島進さんなどのマネジメントを目的とした会社です。
元々、たけしさんは経営に対する関与はしていなかったそうです。
社長である森昌行さんは、所属タレントのマネージャーとしても活動されています。
オフィス北野は、事件を起こして当時の所属事務所・太田プロダクションにいられなくなったビートたけしさんらの受け皿として、森昌行さんが設立された事務所なんですね。
「たけし軍団」というネーミングをしたのも、この森昌行さんだと言われています。
また、たけしさんが映画監督を務める作品のプロデュースも森昌行さんが行っています。
事務所の稼ぎ頭はやはりたけしさんで、ほとんど事務所を養っているのは、たけしさんのようですが、たけしさんの個人事務所というわけではなく、ほかにもたくさんの所属タレントがいるようですね。
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まとめ
オフィス北野は、てっきりたけしさんが社長をつとめる個人事務所なのかと思っていましたが、実際は違いました。
オフィス北野は、フライデー襲撃事件を起こし、当時の所属事務所の太田プロダクションにいられなくなったたけしさんやたけし軍団の受け皿として、森昌行社長が設立した会社でした。
今回のたけしさんの独立騒動は、愛人とされる女性と一緒に独立するためといわれているようです。
フライデー襲撃事件は、フライデーのたけしさんの愛人への不適切な取材に腹を立てて起こした事件だそうです。
また、原付で転倒して事故を起こした時も愛人に会いに行く途中だったとか。
そして、今回の独立騒動の裏にも愛人の影が・・・
たけしさんって。。。^^;
それにしてもたけしさんがそこまで入れあげる愛人さんってどんな魅力的な方なのでしょうね。?
先月亡くなられた大杉漣さんのことで涙されているたけしさんが印象的でした。
情に厚い方なんだと思います。
たけしさん、71歳での新しい挑戦、頑張って下さい!
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