「紀ノ国屋」と「紀伊國屋」、どちらも同じ「きのくにや」という読み方をします。
漢字も似ているし、読みも同じというこの2つの似た名前の店舗が日本にはあります。
もしかしてこの2つの店舗は何か関係があるのかなと思って調べてみました。
この記事では、「紀ノ国屋」と「紀伊國屋」の相違点と関係について、分かりやすく説明していきます。
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「紀ノ国屋」と「紀伊國屋」の違いと関係性
ますは、結論から簡潔にお伝えしますと、「紀伊國屋」は書店で「紀ノ国屋」は高級スーパーマーケットです。
これら2つは全く異なる業種であり、会社も経営者も異なります。
さらに、「紀ノ国屋」と「紀伊國屋」の双方には何の関連もありません。
それでは、「紀ノ国屋」と「紀伊國屋」のそれぞれの歴史について掘り下げていきますね。
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「紀ノ国屋」(高級スーパー)とはどんな会社?
「紀ノ国屋」は、1910年(明治43年)に果物屋として東京都青山で創業されました。
そして、1953年(昭和28年)に日本初めて「レジスター」を導入し、セルフサービス式のスーパーマーケットとして開業しました。
それまでの一般的な店舗では、お客さまが店員に希望の商品を伝え、店員が商品を取りに行って代金を支払ってから商品を渡す方式でした。
この形態は今日でも高級品を扱う宝石店などで見受けられます。
しかし、「紀ノ国屋」はお客さまが自ら商品を選び、まとめてレジスターに持っていくと店員が清算してくれる方式に変更しました。
これが現在のスーパーマーケットの原型です。
ただし、「紀ノ国屋」の商品はすべて高級品であり、「低価格が売りのスーパーマーケットとは異なるのでは?」といった議論もあり、「日本初のスーパーマーケットではない」という説も存在します。
その後も、常に時代に先駆けたアイデアで商品を展開し続け、チーズの航空輸送やジュースの自動販売機の設置、高級アイスクリームの販売やパンの製造販売などを行っています。
また、「レジ袋」の原型である「ショッピングバッグ(紙袋)」を導入したり、ショッピングカートも早くから採用しました。
現在の「紀ノ国屋」は、日本全国に40店舗以上展開し、1,500人以上の従業員を抱えています。
余談ですが、「スーパーマーケット」の「スーパー」は、「スーパースター」や「スーパーマン」などと同じく「極上の」とか「素晴らしい」といった意味です。
「市場(マーケット)」の中で「超越した市場」という概念から、「スーパーマーケット」と呼ばれるようになりました。
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「紀伊國屋」(書店)とはどんな会社?
「紀伊國屋」は1927年(昭和2年)に、田辺茂一氏が東京都新宿三丁目に創業した書店です。
正確な名称は「株式会社紀伊國屋書店」です。
田辺家は江戸時代から徳川御三家(尾張徳川家・紀伊徳川家・水戸徳川家)の「紀伊徳川家」に仕えていました。
ただし、紀伊徳川家の所在地が和歌山藩(現在の和歌山県・三重県)ではなく、田辺家は江戸藩邸に勤めていました。
田辺家は最初に材木問屋として商売を始め、その際に屋号として出身地に由来する「紀伊國屋」を採用しました。
その後、材木問屋から炭問屋に転身し、1927年(昭和2年)に書店に転換しました。
新宿三丁目にあった炭問屋の敷地を利用して、2階建て38坪の店舗を開業し、「同人誌」「文芸誌」「文学書」「学術書」などの販売を始めました。
当時の従業員は、田辺茂一氏を含めてわずか5人。
5人で始まった小さな書店であったことが分かります。
現在は、国内各地に店舗が展開され、海外にも40店舗以上存在しています。
また、総勢5,000人以上の従業員を擁する企業に成長しています。
今では、書店だけでなく「ホール」も運営しており、演劇や落語などのエンターテインメント会場としても利用されています。
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まとめ
以上が、「紀伊國屋」と「紀ノ国屋」の異同と関連性についてでした。
「紀伊國屋」は書店、「紀ノ国屋」は高級スーパーマーケットであり、双方とも異なる企業です。
つまり、これらの店舗には何の関連もないのです。
ただし、どちらも「老舗」であり、両社ともに素晴らしい企業として発展している共通点がありますね。